大判例

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大阪高等裁判所 昭和29年(う)2247号 判決

主文

本件判決を破棄する。

被告人を拘留二十日に処する。

原審の未決勾留日数中十五日を右本刑に算入する。

理由

本件控訴の理由は、被告人提出の控訴趣意書記載の通りであるから、之を引用する。

先づ記録に基き原審における本件事案の経過を辿つてみると、起訴状には公訴事実として『被告人は昭和二十六年八月十八日頃京都府与謝郡宮津町西堀川梁川病院外一ヶ所の掲示板に「左の者は売国奴につき注意せよ与謝地区警察署岩井巡査」と標題し「右の者は日本の自由、平和、独立のために斗う共産党及進歩的人民に対し特高的調査威嚇を行い、憲法の保証する言論、思想、結社の自由を不当に弾圧するものである。具体的事実として“講和条約が締結されたら共産党員は絞首刑、家族は銃殺にする”との暴言を吐いた」と書かれ、その罰条として刑法第二百三十条が示されているのに対し、原判決はその挙示する証拠によつて『被告人は、昭和二六年八月一七、八日ごろ、京都府与謝郡宮津町字鶴賀二一〇五番地の沢村秀夫方におかれている日本共産党丹后地区委員会の事務所に立寄つたさい、同府与謝地区警察署の司法巡査である岩井利一の言動をとりあげ、白紙(縦二尺五寸、横四尺五寸位のもの)に筆と墨で、「左の者は売国奴につき注意せよ」「与謝地区署岩井巡査」と二行に見出をつけ「右の者は、日本の自由、平和、独立のために斗う共産党及進歩的人民に対し、特高的調査、威嚇を行い、憲法の保証する言論、思想、結社の自由を不当に弾圧する者である。」「具体的事実として“講和条約が締結されたら共産党員は絞首刑、家族は銃殺にする”との暴言を吐いた。」うんぬんと記述し、同地区委員会の署名をいれた壁新聞三枚ができているのを見ると、かんじんの後半は、同巡査がたまたま数日前の夕方ごろ退庁してから同町字魚屋九三四番地にある浜茶屋という飲食店にゆき戸田普外一名と酒を飲んだかえりに路を歩きながら誰にいうとなく独語したに過ぎなかつたのをとらえ、あたかも同巡査が職務に関し公言したかのごとく事実をまげ記述したものであつたのに、当時自らも共産党員として同巡査のひごろの仕事ぶりをにくんでいたおりからのこととて、それらが真実をつたえたものであるかどうかを確めないまま、同町字白柏一三三五番地先の板塀(太田仙之助の所有するもの)外同町内二ヶ所にわけ、いずれも道路に面する場所をえらんで掲示し、公然と、同巡査の私行にわたることがらを摘示して名誉を毀損したものである」との事実を認め、之に刑法第二百三十条第一項を適用していることが認められる。即ち本件は問題の壁新聞の記事中「左の者は売国奴につき注意せよ」以下「具体的事実としてしかじかの暴言を吐いた」云々までを公衆の面前に展示したのが名誉毀損の包括一罪に当るとして起訴せられ、また原審がそう認めて判決したものであるということが出来る。ところが刑法第二百三十条の規定によると、名誉毀損には公然事実を摘示することが要件となつているのであるから、全く抽象的な記述に過ぎないと認められる右記事中冐頭の「左の者は売国奴につき注意せよ与謝地区署岩井巡査」とある部分(爾后之を単に(イ)の部分と称する)並にそれに続く、これも抽象的であつて、しかも、それは岩井巡査の従事している司法警察事務一般のやり方についての単なる批判であると解せられる「左の者は日本の自由、平和、独立のために斗う共産党及進歩的人民に対し特高的調査威嚇を行い、憲法の保証する言論、思想、結社の自由を不当に弾圧するものである」とある部分(爾后之を単に(ロ)の部分と称する)はいずれも之を名誉毀損罪の構成部分とすることは出来ない。即ち具体的事実を摘示したものといえないからである。従つて残るところは、末段の「具体的事実として“講和条約が締結されたら、共産党員は絞首刑、家族は銃殺にする”との暴言を吐いた」という部分(爾后之を単に(ハ)の部分と称する)だけであつて、之は明かに事実を摘示したものと認められる。けれどもこの(ハ)の部分に対しては、若し刑法第二百三十条の二第三項に規定せられているように、それが公務員に関する事実であつてその真実なことが証明せられたものならば罰しないことになつているのであるから、其点の検討がなされねばならない。論旨も要するにこの点を衝くものと解せられる。そこで記録を精査すると、原審第三回公判調書には証人東毅の証言として『昭和二十六年八月中与謝地区警察署の署長に岩井巡査の暴言のことで面会に行つたことがある、それは岩井巡査が壁新聞の内容に相応する暴言を吐いたものと信じたからである。そして同十六日の夕方、道路上で後から岩井巡査に呼び止められ「一寸話があるんだからここでは困る。何処かえ行こう」といわれたので「話は何んだ」ときくと、「あんなことを書いて貰つたら困る」という意味のことをいつた。それに対し自分は「君のいつたことは間違ない、証人もいるんだが今はいえない」と答えた。すると彼は「その証人というのは戸田君ではないか」といつた。自分は戸田から岩井巡査が暴言を吐いたことを聞いたのであり、戸田にその時念を押して確めてもいる』との旨の記載があり、証人戸田普の証言として『自分は昭和二十六年の八月中のある夕方、友人と二人で宮津町の市場の横の浜茶屋という飲屋で酒をのんでいるところに岩井巡査が入つて来て雑談をした後、三人で外に出て友人と自分との間に岩井巡査をはさんで歩いているとき、岩井巡査は前の方を見て、誰にいうともなく、「講和条約が締結されたら、共産党員は絞首刑、家族は銃殺刑だ」といつたので、二、三日後東君のところえ行つてそのことを伝えた』との旨の記載があり、証人岩井利一の証言として「戸田証人の浜茶屋での出会は事実であり、その時どんな話をしたかは覚えてないが、兎に角何か話をしたことがある、それはありふれた世間話で、壁新聞の内容のようなことは申していないと思う」との旨並に「ありふれた世間話とはどういう話か」との特別弁護人の問に対し同証人は答をしなかつたとの旨の記載があり、また原審第七回公判調書には証人田中謙三の証言として「昭和二十六年夏ごろ戸田普と浜茶屋で一諸に酒をのんでいるところに岩井巡査が入つて来て戸田の横にすわり、話をしていたこと、そして三人で連れだつて外に出たことがある」との旨の記載があつて、これらを綜合すると、昭和二十六年八月中、本件壁新聞の掲示せられた数日前の夕方、戸田普が友人と二人で宮津町の市場の横の浜茶屋という飲食店で酒をのんでいるところに岩井利一巡査が入つて来て、同人等と話をした末、三人連れだつて外に出て、道路上において同巡査が誰にいうともなく、前方を向いたまま、独語するように、「講和条約が締結されたら、共産党員は絞首刑、家族は銃殺にする」という意味の言葉を口にしたことは疑がないといつてよい。原判決もその事実は一応之を認めてはいる。けれども、その事実は壁新聞に掲げられた(ハ)の部分とは異つたものであり、壁新聞の記事は「事実のままを摘示していなく、かえつて真実とは異る趣旨の記述に置かえられている」と説明しているのである(原判決は「あたかも、同巡査が職務に関し公言したかのごとく事実をまげ記述し」と認定しているが、本件の掲示にはさような記述は認められない)。そしてその理由として「判示の壁新聞に記述せられているように問題の言葉のかたられたときのもろもろの条件をけずりさつて言葉だけを残しこれに別個のものを結びつけるというような表現と調子をもつてした場合には、言葉そのものには、いささかの変更を加えていなくても、なお、かような記述は真実を摘示したものとはいえない」といつているが、前示(ハ)の部分の記事に関する限り、右に理由として述べられたことが尤だと肯けるような資料は存在しない。寧ろ(ハ)の部分に該当する事実は真実にあつたと認めるのが相当である。そして、なお、原判決は、岩井利一巡査の右行為は私行に属するものであつて職務に関して公言したものでないから之を摘示することは名誉毀損になると判示しているが、同巡査の右発言は、たとい前示のような状況においてなされたものであるとしても、それは全く親しい友人同志の間でたまたま冗談まじりになされたのとは事がちがい、前示各証人の証言から窺えるように、側でそれを耳にする立場にあつたのが、同巡査とさまで親しくなく、しかも民主青年同盟に関係している戸田普であり、また、同巡査は日頃共産党員並にその同調者に対して職務上決して無関心でなかつたと認められるから、その発言行為について、岩井巡査は公務員として当然批判を受けなければならないものといつてよい。いやしくも、国民全体のための奉仕者の地位にある公務員が、国民の一部が―それはたとえ政治上の信条を異にしているものであつても―絞首刑又は銃殺にせられるというようなことを肯定するような発言をすることは、そのこと自体公務員の行為として批判の対象とせられても已むを得ないことといわねばならない。刑法第二三〇条ノ二第三項の規定の設けられた所以も、かかる公務員の言動を公の批判にさらし、以てその素質を向上せんとする点にあると考える。従つてそれは刑法第二百三十条ノ二第三項に所謂公務員に関する事実に係るものと認めるのが相当である。そしてこの場合、岩井巡査の右発言が直接でなく伝聞によつて被告人の耳に入つたとしても、また、その事実摘示が予めその真否を確めずしてなされたとしても、結局その事実の存在が立証せられた以上は、刑法第二百三十条ノ二第三項の規定の適用には何ら消長を及ぼすものではないと解すべきであり、さらに、この第三項の場合には同法条第一項の場合のようにその事実摘示の目的が専ら公益を図るに出でたものであることを要しないというべきであるから、要するに(ハ)の部分に関する限り、被告人は名誉毀損罪によつて罰せられないこととなる。そこで、この部分を無罪とするにしても、なお、(イ)(ロ)の部分において犯罪が成立しないかというと、(ロ)の部分は名誉毀損罪の構成部分と認められないことは前示の通りであり、その表現は相当辛竦であると思われるが、之は政治的立場を異にする側からなされる官憲に対する常套の批判的言辞であると認められるから、これを以て強いて岩井巡査個人を侮辱したものと認めることは出来ない。けれども(イ)の部分については、「左の者は売国奴につき注意せよ、与謝地区署岩井巡査」というのであるから、それは、岩井巡査を売国奴であると公然侮辱したものと認めて差支がない。或は之に対し、右のような言葉が出たことは、(ハ)の部分のような岩井巡査の行為があつたために、当然之に対する批判の一部として生じたので、勢の赴くところ已むを得ないことである、何も之を特別に切離して侮辱罪を認めるべきではないという議論も、検討の余地があるかもしれないが、およそ人を売国奴であるとすることは、極めて明白な客観的な根拠があつての場合ならば格別、単に自己の主観的判断で他人にさような評価を加えることは不法である。本件において、たとえ(ハ)の部分の事実があつたからとて、之に対する批判は正当な言論の範囲内で行うことは十分に可能である。然るに之と結びつけて、その特定の個人をそのように誹謗することは、その間に非常な飛躍があり、当然生ずべき言葉とも思えないし、領置の壁新聞(検乙第一、二号)によつて明かなように、「右の者は売国奴につき注意せよ」なる標題は他の部分よりも特に大きな文字を以て記載せられている事から考えても、之を(ハ)の部分に之を包含せしめることは無理である。従つて(イ)の部分は名誉毀損罪より程度の低い刑法第二百三十一条に所謂公然人を侮辱したものとして侮辱罪に該当するものと認めるのが相当である。勿論その罪は告訴を待つて論ぜられるべきものであるが、本件名誉毀損罪に対する告訴というものには当然に同じく名誉権に対する侵害であるこの点の告訴も含まれているものと解してよい。また、この侮辱の事実は本件名誉毀損の訴因の事実に包含せられているものと解するのが相当であるから、この点につき訴因の変更も必要でないと考える。」その他の所論中には、原審の裁判官並に検察官の言動について兎角の意見を述べている点があるが、それらはいずれも、控訴申立の適法な理由とは認められない。

よつて原判決は、以上説明したような諸点において誤があるから、刑事訴訟法第三百九十七条に則り之を破棄しなければならない、けれども本件訴訟記録によると、之に基いて直ちに判決ができると認められるから同法第四百条但書の規定に従つて自判する。

当裁判所の認定する罪となるべき事実は左の通りである。

被告人は昭和二十六年八月十七、八日頃京都府与謝郡宮津町字白柏一三三五番地の板塀外同町内二ヶ所の掲示板にいずれも公衆の通行する道路に面する場所で「左の者は売国奴につき注意せよ、与謝地区署岩井巡査」云々と記載した壁新聞を掲示し以つて同地区署岩井利一巡査を公然と侮辱したものである。

右の事実は左の証拠によつて之を認める。

一、証人戸田普の原審公判調書における供述記載

一、証人岩井利一の原審公判調書における供述記載

一、証人沢村秀夫の原審公判調書における供述記載

一、潮田武雄の検察官に対する供述調書

一、検察事務官の差押調書(検甲第二、三号)

一、領置の壁新聞(検乙第一、二号)

之に法律を適用すると、被告人の行為は刑法第二百三十一条に該当するから、その所定刑中拘留刑を選択し、その所定期間内において被告人を拘留二十日に処し、同法第二十一条に則り原審の未決拘留日数中十五日を右刑に算入することにする。

本件公訴事実中前示(ロ)の部分は既述の理由によつて名誉毀損罪は勿論侮辱罪にもならないものと認められるし、前示(ハ)の部分は既に説明した通りの理由によつて処罰の対象とならないものと認められるから、この(ロ)(ハ)の二つの部分については被告人は無罪であるとすべきである。けれども、本件は(イ)(ロ)(ハ)の各部分を包括して名誉毀損の一罪として起訴せられたものであるから、一罪の一部に無罪の理由がある場合として主文において特に(ロ)(ハ)の部分について無罪の言渡をしない。

なお、原審の訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項但書の規定に従い、主文の通り判決する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 網田覚一 小泉敏次)

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